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その悩み方を〇〇と言います

ある研究者の言葉

ご存知の方も多いと思いますが、

僕は27歳まで大学院の博士課程後期に通っていて、

「欧米経済史」という経済学というより、

歴史学に近い研究分野に勤しんでいました。

 

要するに、

私には歴史研究者になろうとしてその卵だった時期があるのです。

 

専門は19世紀ドイツの「都市-農村関係」です。

 

おそらくそんなことを言っても、

「何それ? 面白いの?」という人が続出だと思いますが、

確かにやっていることは大変地味でした。

 

日々、ドイツ語文献を日本語に訳して、

何年もかけて当時のドイツの労働者たちの姿を観察して、

それを理論化し、近代化を進める国の姿を明らかにする。

 

そんなことを27歳までやっていたのです。

まあ、最終的に塾の先生になったので、その道では挫折したわけですけどね。

 

 

それはそうとして、

その当時の私の指導教授は大変立派な方で、

この分野では名前を知らない人はいないほどの研究者でした。

 

私の人生最初の師匠です。

今でも大変尊敬しています。

 

今日は、その指導教授の口癖を一つ紹介します。

 

 

「常に謙虚であれ」

 

 

です。

 

いかにも学者先生が好きそうな言葉ですね。

 

 

その意味はこうです。

 

「科学者であれば、自分の言葉に責任を持たないといけない。

論文に載せるその一言を書くために、

何年もかけて実証研究を重ね、真実を見出していく。

自分がどんなに素晴らしい学説を思いついたとしても

それに浮かれることなく、

その実証に膨大な時間を過ごすのが科学者だ。

自分を過信することなく、ただ事実を積み重ねていく。

そして、自らの間違いは素直に認め、修正していく。

それが科学者たるものの正しい姿勢である」

  

当時まだ20代の若者だった私には、

この教授の言葉は大きな衝撃を伴って胸に響いたことを覚えています。

 

 

謙虚であるということ。

 

 

研究者の世界に入って30年以上経ち、

国立大学の教授にまで上り詰め、

それでもなお「生涯一書生でありたい」と言い続けた一人の研究者の姿です。

 

その悩み方を〇〇と言います

 

そうした姿勢と比べて、

時折塾生の悩み方を「謙虚とはほど遠いなあ」と思うことがあります。

 

僕から見たら、

数値としても伸びているし、

きちんと成長しているにもかかわらず、

そんな自分を駄目だと思い込む。

 

本人としては、

一生懸命真面目に勉強について悩んでいるのでしょう。

 

しかし、

そんなのを「勉強にきちんと向き合っている姿勢」とは言いません。

 

 

課題をきちんとやっているから、

数週間テスト勉強頑張ったから、

数ヶ月塾に通ったから、

一年それなりに勉強したから、

だから、自分はもっともっと伸びていていいはずだ。

 

 

こういう姿勢を「傲慢」と言います。

(謙虚の反対言葉です)

 

 

 

そんな傲慢な姿勢では、いつかどこかでぽきっと折れますよ。

 

 

しかも、自分ができている部分には目もくれず、

できない部分だけにフォーカスして、

思い悩む。

 

なんて傲慢なんでしょう。

 

 

できないのは当たり前。

それは分かった。

それでも、自分はやり続ける。

一つ一つ積み重ねる。

 

謙虚な姿勢というのは、そういうものです。

 

もちろん

やってもやっても思い描くレベルに到達しない、と思うことはあるでしょう。

しかし、それでも自分が到達した地点を確認し、

その先に進むためにコツコツとやり続ける。

 

自分なりに頑張っているつもりでも、隣のクラスメートが眩しく感じることはあるでしょう。

しかし、それでも自分ができるようになったことを確認し、

その先に進むために粛々とやり続ける。

 

私が知る限り、

本当に高いレベルに到達している人は、

そういう「謙虚な姿勢」を獲得しているものです。

 

「謙虚」な姿勢が、自分をとんでもない世界に連れていってくれることを知ってくださいね。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    茂木 (日曜日, 18 9月 2022 06:03)

    社会人29年生の私にも染みてきました。傲慢とは気付いてない所が多々ありました。良い言葉を本当にありがとうございます。