藤原和博『本を読み人だけが手にするもの』を読んで

 

藤原和博氏。

 

元リクルート社のフェローという立場から、

 

東京都内の初の民間校長に就任し、

 

教育改革実践家、叙述家として活躍。

 

2018年度まで奈良市立一条高等学校の校長に就任されていました。

 

 

 

はっきり言って、かなり好きです。

 

 

 

私が子どもたちに伝えようとすることと、彼が言うことはかなり似通っています。

 

 

本を読んでいて、

 

「あれ? この話、藤原先生の影響を受けたんだっけ?

 

同じことを言っているなあ」

 

と思うことも多いです。

 

 

 

昨年の11月には実際に講演会に足を運び、写真も撮ってもらいました。

 

彼の講演は、大変面白いですよ。

 

タイプは異なりますが、

 

キングコング西野さんと1・2を争うくらいの面白さです。

 

『本を読む人だけが手にするもの』

 

さて、今回手に取ったこの本。

 

タイトルは実に私好みです。

 

この本の刊行は2016年なので、ちょっと前の本になるのですが、

 

3年程度で色褪せる内容ではありませんでした。

 

 

 

もちろん「情報処理力や情報編集力」、「1万時間の法則」、

 

さらには「正解と納得解」についてなど

 

藤原先生の広く知られた持論にも言及されていますが、

 

私が膝を打ったのは序章のこの記述。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

日本の現代社会を指して、

 

「それぞれ一人一人が自分自身の幸福論を編集し、

 

自分オリジナルの幸福論を編集しなければならな時代に突入した」

 

だからこそ、

 

「『それぞれ一人一人』の幸福をつかむための軸となる教養は

 

自分で獲得しなければならない。

 

そのためには読書は欠かせない」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

この記述、完全に同意します。

 

 

 

 

終身雇用が崩壊し、少子化による一人当たり負担が増大しつつある一方で、

 

平均所得も下がり続け、

 

平成の30年史で「かつての経済大国」となりさがった日本において、

 

80年代・90年代には確実に存在した「正解とされた人生モデル」は崩壊しつつあります。

 

 

 

その結果、今の子たちは、

 

自分自身が正しいと感じる価値観に従って生き方を選択しなくてはいけません。

 

 

 

それはポジティブに捉えれば、

 

自分の人生を選択できる自由が彼らに大きく与えられていると言えるのですが、

 

しかし、その一方で、自己責任の下で自問自答し続ける人生だとも言えます。

 

 

 

「本当にこれでいいのか?」

 

 

と。

 

 

 

その際に、自分の中で

 

きちんとした価値観や社会への見方が育っていなければ、

 

これは「怖い」でしょうね。

 

 

 

なんの指針もない中で、なんとなくで選ばないといけない。

 

暗闇を手探りで進むようなものです。

 

 

 

私(宮脇)なら、怖くてどこにも進めません。

 

 

 

正解なんてないからなんでもいいのですが、

 

少なくとも自分で納得していないといけません。

 

 

 

自分が納得していないことに人生かけて取り組むなんて

 

苦痛以外の何物でもありません。

 

 

 

藤原先生曰く、

 

しかも日本の場合は、

 

「太平洋戦争の影響で、国家が宗教を発動できなくなった」ために、

 

民族の連帯感もコミュニティー内の結びつきも弱められているのです。

 

 

 

 

だから、

 

「自分で本を読み、自分で世界観を構築しなければ幸福論は築けない」

 

 

 

それが本を読む理由の一つだと言うのです。

 

 

 

 

 

共感する理由

 

 

私がこの内容をことさら強調して同意するのは、

 

きっと私がそうだからですね。

 

 

 

そこで生活している人以外誰も通らないような袋小路に、

 

アパートを2部屋借りながら、

 

個別演習塾という「教えない塾」を営みつつ、

 

キングコング西野さんの講演会を開いたり、

 

「知のスレッジハンマー講演会in広島」を開いたりしているのは、

 

それなりに自分が正しいと納得している理屈と価値観があるからです。

 

 

 

 

その価値観は、私個人の体験に基づく部分もありますが、

 

読書によって培った部分も大きい。

 

 

 

もし私の中にこれらの活動が正しいと思えるだけの事実や価値観の蓄積がなかったら、

 

とっくに心折れていたでしょうね。

 

 

 

きちんとしたものならなんでもいいです。

 

 

 

どんな価値観でもいいのですが、

 

子ども達も自分が納得する価値観を持って社会に出て欲しいと願います。