『勉強ができる子卑屈化社会』
本日、ブログのネタのために本棚を漁っていたら、数年前に読んだ本を一冊見つけました。
少し昔の本なのですが、私にとってはとても共感できる本ですので、ご紹介させてください。
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いやあ。
パラパラとめくっただけでも、頷くことが多い。
以前も書きましたが、なぜか勉強ができる方が卑屈にならなくてはいけない世の中。
その原因はきっと教育する側にもあります。
落ちこぼれる生徒に対しては手厚くサポートをするくせに、『浮きこぼれる』生徒は放っておかれる傾向があるのもその一つ。
そうした世の中の理不尽さを嘆いた一冊です。
ここで、この本に共感できることはたくさんあるのですが、その中で筆者が鋭く指摘していることを一つ取り上げます。
それは高校に入った後「上位レベル集団に埋もれ安心する、できる子たち」の存在です。
引用しますね。
「勉強できる子は、小学校や中学校のせまい世界の中では勉強ができるがゆえに目立ってしまい、バッシングの対象となってしまいますが、上位レベルの学校に行けば同じレベルで勉強ができる子ばかり。
すると、その状況に甘んじて、集団の中に埋没する喜びを満喫してしまうのです。」
(『勉強できる子卑屈化社会』p.43)
ああ〜。なるほど。
これまでの指導歴でこれに当てはまる生徒が何人も思い当たります。
典型的な子が10年前、前職の塾で初めて出会い、Move初の広大生となった女の子でしょうか。
その子は、中学校時代、学校になじめないと私に頻繁に相談してくるような子でした。
成績は、中学の学年トップ5には常に入る優秀な子です。
しかし、授業中に立ち歩くような生徒が普通にいる荒れた学校になじめるほど、融通がきく生徒ではありませんでした。
ある時から、本人も自覚的にその環境から抜け出そうとしたようです。
「こんな中学は嫌だ。もっときちんと勉強できる学校に行きたい」
そう思いながら努力を重ね、広島市北部の進学校・安古市高校に進学しました。
私は安堵しました。
彼女は自分が望む落ち着いた環境を手に入れたのです。
高校進学後は「学校は楽しい」、そう言って通っていました。
ところが、高校に入った途端、勉強に関してはやる気がなくなってしまったのです。
いや、もちろん頭では分かっています。
「勉強しなくちゃ」
分かっているけれど、体と気持ちがついていかない。
そんな状態です。
本人も苦しんでいました。
そして、今度はどうやったらモチベーションが上がるのでしょう?と、僕に頻繁に相談を持ちかけてくるようになりました。
その子とはいろんな話をした覚えがあります。
結局、苦しんだのは高1から高3前半にかけてであり、最終的には高3後期の頑張りが奏功して広島大学に進学していきました。
「あぶない、あぶない・・・」
その時の私の正直な感想です。
なんとか広大に合格したので結果オーライではありましたが、それにしてもあれは一体何だったんだろう?
ひょっとすると彼女が陥った状態こそが上に当てはまる状態なのかもしれません。
「自分が望む環境を手に入れて安心してしまった」
「上位生の中に埋没する心地よさに安堵した」
そんな心理状態だったのかもしれません。
考えてみると難しい問題です。
もちろん「自分が望む環境を手にいれるために勉強を頑張る」こと自体は大いに結構なことです。
学業は自分が進みたい世界に進むための手段として大きな力を持っています。
しかし、現状から抜け出すことを勉強の動機にしてしまうと、それが成功した時には勉強へのモチベーションを失ってしまう。
それでは、うまくいかないことも増える。
とは言え、現在の環境に苦しんでいる人は、やはりそこから抜け出すことを第一の理由に据えますよね。
それを否定することもできない。
結局、解決方法はとしては、やはり自分の将来に思いを馳せて、高校入試・大学入試を通過点として捉えることなのでしょう。
フィアベースのモチベーションよりもラブベースのモチベーション。
そのためにあれこれ仕掛けていきたいと思います。
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茂木 (土曜日, 17 10月 2020 08:06)
宮脇先生おはようございます。浮きこぼれる、、、初めて聞いた単語です!!
常々、先生が仰られている将来の夢まで描けているか、が大切になるんでしょうね。
茂木さん (土曜日, 17 10月 2020 12:55)
おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
浮きこぼれる、または「吹きこぼれる」とも言います。
Moveは学校で頑張ろうとしているけど、そのために感じる窮屈さを軽減することを設立の理念としています。
また、この高校に入ったら燃え尽きる問題をどうにかしたいという問題意識が、今の僕の活動の出発点だったりします。